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ヘイトと祈り

桜井誠さんという方の「大嫌韓時代 」という本がAmazonでベストセラーだそうだ。氏は大久保のコリアンストリートや京都の朝鮮学校などでいわゆる「ヘイトスピーチ」をやっている在特会の代表。Amazonの書評コメントは絶賛のオンパレードで最高の5つ星評価だらけ、となっている。
世間の書店では嫌中嫌韓の本がごっそり平積みされているといううわさも聞くなぁ。ちなみにラジオで雑誌VOICE(PHP研究所)の編集長が、実に正直なことに「嫌中嫌韓で特集を組むと売上が3-4割増えるので、ついついやってしまう」と話しているのを聞いたことがある。

ヘイトの役割
時の政権が「国内問題を隠ぺいするために国外に敵をつくる」とはよく言われることだけど、これらの現象はそれだけが理由じゃないだろう。国外に敵を作れば税金で武器を買いやすくなることから始まって、ビッグなビジネスチャンスが転がり込む人たちだっているはずだ。現に活字媒体の人はそんな空気に掉さすことによってビジネスをしている、と前述のようにはっきりおっしゃっている。つまり、国外問題をつくることによってビジネスをしている、という見方もできるだろう。

しかし、どう考えてみてもこれは危ういよね。尖閣の危険をいいつのることによって警備レベルを上げ、万一ドンパチがあれば、血を流すのは命令に従って出向いた現場のどなたかだ。それはおそらくだが、ヘイトスピーチをしていた人でも、雑誌の売り上げを3-4割上げた人でもないだろう。
命をかけて尖閣を守ろう、なんていったい誰がいえるのだろうか。もしそれをいうなら、その前に命をかけて福島を守ろう、というべきだろう。

エジプトでムバラク大統領を倒したアラブの春、というのも記憶に新しい。しかし、その結果は惨憺たるものになった。誰かーたとえばムバラクという悪者像を作って攻撃する、それは社会が不安定になると起きやすいことだ。しかし、単なる憎しみを駆動力とするムーブメントだとしたら、それは「創造性」を持ちにくいために失敗することはきっと約束されている。今、中東では「イスラム国」の蛮行が世間を震わせている。しかし、意図的に「わざと怒りと憎しみを売る」行為をしているように思えてならない、といったら考えすぎだろうか。

「トンデモな連中だから、たたきつぶしてもいい」ならば、儲かる人もいっぱいいるのは確かだ。大きな問題は、世の常として、たたきつぶされるのは「トンデモな人」ばかりとは限らない、ということだ。

経済と政治の保守がヘイトを生み出す
ニッポンは首相を先頭に保守化しているとも言われる。しかし、宮台真司さんという社会学者にいわせれば、保守にもいろいろあるらしい 。本来の保守は「社会保守」とのこと。例えとしてはフランス革命の混乱から、あるいはアジアの単純欧化主義からその社会らしさを保全することであり、最近の出来事で言えば沖縄知事選で勝利した翁長さんが唱えた「沖縄らしさを守る」ということ。それに対して現代日本では「経済保守」と「政治保守」が分化しているそうな。

経済保守は端的に言えば「景気回復、この道しかない(アベノミクス)」である。新自由主義的施策で巨大企業の収益・株価を上げて、やがては社会のすみずみまでお金をしたたりおとす(トリクルダウン)という思想。ところが、バブル崩壊以降、空前の長期景気といわれたリーマンショック前の好況時にもトリクルダウンは起こらなかった。最近有名なピケティという経済学者は、統計的に過去トリクルダウンが起きたことはない、と結論付けているそうだ。
そして経済保守によるグローバル化進展の結果、中間層が分解し、家族や共同体が空洞化する。そして社会が空洞化すると、それを埋め合わせるために政治保守、つまり全体主義が台頭するという。つまりヘイトがはやっているの理由は、宣伝だけでもない。確かに今、ヘイトが求められているのかもしれない。

宮台さんがいうには、ヨーロッパ社会はアメリカ社会よりある意味かなりまともであり、まともな社会は社会を保全しようとするとのこと。経済を回すにしても、政治的イデオロギーについても社会に役立つ限りにおいて意味があるので、経済保守も政治保守も本末転倒だというのだ。

原発に祈る
原発事故が起きて間もなく、我が畑近辺に無視しがたいレベルの放射能汚染がある、とわかった時の気持ちをどう説明したらいいだろうか。天と地の恵みを受けながら、自分たちが育て上げた野菜が汚染されていると知った時、なんとも表現しがたい澱みたいなものが胸の中につかえた。単純化していえば「穢された」という感じである。

この「澱」は持って行き場がなかった。

事故まもなく、福島県須賀川市である有機農家の方が自殺したが、彼はきっとワタシよりもずっとやっかいな「澱」を感じていたんだろうと思う。

そんな時、「原発に祈っている」という人の話を聞いた。橋口いくよさんという方で「40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。誰かが”40年間働いてくれて、ありがとう”と言わなければ、原発だって浮かばれない、と」

ワタシは正直、この話で救われた。いま、ここにあるような放射能は基本、あってはならないもの、忌み嫌うもの-という澱んだ意識が漸く流動性を持ち始めたように感じたものだ。
自分が無傷であれば、祈っても・祈らなくても・どっちでもよい。しかし、傷があることを自覚すればこそホントに祈ることができるような気がしたものだ。

祈ることにより、たたきつぶさないで、供養することができる。供養することで自分の心の中に原発や放射能の居場所をつくることできる、そんな気がするのだ。

当然だけど、中国や韓国の人々と原発や放射能が同じだといっているのではない。いいたいことは、対象が誰であれ何であれ、ヘイトは本人や社会にとってやっぱいいことはない、ということ。「悪魔の農薬ネオニコチノイド」という本もあったけど、ワタシは題名からしてこれは読む気にならない。
おそらくモンダイの多くは「人やモノ」ではなく「しくみ」に存在する。そうであれば、どんな人が当事者でも、「しくみ」を工夫することである程度モンダイを回避できる可能性はある。
だから、たとえば原発モンダイについては原子力ムラの人を排除することでおそらく問題は解決しない。デモで「あいつばダメだ」「こいつをつぶせ」といったとしても、まったくの無駄だろう。誰かが去っても、また同じ役割を持つ人が出てくる。ちなみにここんとこの本質は「なんたら協定」というしくみなんではないのか、とワタシは考えている。

いやぁ、喧嘩ばかりしてるヒトがきれいごといっちゃって、と聞こえてきました(^^)
そのとおりであります。だけど、喧嘩ばかりしているからこそ感じている、ということで・・・。

(以上 フリーペーパー「AGRECO」Vol.80,2015.01に掲載したものを加筆・修正)
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rainfrog23

Author:rainfrog23
就農15年目、群馬県高崎市の野菜農家のおやじ。30代までは都心に勤めるサラリーマンだった。生き物がたくさんいる環境での仕事を望み百姓志願。農園の名前、みずき彩菜(さいさい)です。

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