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原発に祈る

堆肥をまき、ぼかし肥をまき、耕す。天候をみて、種をまき、苗を植える。
日常生活にはこれが一番いい。

だけど、当然ひっかかりはそのまま。

以前は違ったと思う。
畑のカエルにあいさつしたり、乱入したサルを花火でおどかしたり、一面に生えたぺんぺん草を一網打尽にして肥料にしちゃったり・・・で、それでよかった。
野菜の安全性を心配する人に、「ちょっとぐらい毒がないと、体をこわしますよ。」なんていったこともあった。

だけど、ラドン温泉が体にいいっていう人は依然いるかもしれないが、さすがのワタシでも「セシウム137がちょっとくらい入ったって、きにするこたぁないっすよ。」とは言えないよなぁ。
放射性物質から自分の家族と作物を守る工夫はあるはず。そのことをマジでベンキョーし、実行できることはやっていく、ということはもちろんだ。

だけどもともと核は遠くにあって元気がいい、というのが自然の姿。それがすぐご近所でビカビカやりはじめている。これについちゃ、カエルもサルも、ぺんぺん草もあたしもホントの扱い方は誰も知らない。

いったい、どうすりゃいいの?

そんな困った気持ちはいまや通奏低音といってもいい。

そんななか、エントリから10日以上も遅れていたようだが、内田樹氏の文章-原発供養を読んだ。

いや、不肖私めのせいか、久方ぶりに衝撃が走った。
橋口いくよさんという方は「震災からあとずっと「原発に向かって祈っている」」という。

そうかぁ、そんな人がいるんだ!そんな方法があった!のかぁ。内田氏によればこれが「日本のやり方」とのこと。

こんな私だって「祈る」ことはあるし、あった。でも今までそのなかでは、自分が無傷だったことに気が付いた。祈り方を知らなかったのかもしれない。
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Comment
No title
内田樹さんの「原発供養」の怨念の鎮め方、付き合い方、その中で橋口さんの、酷使されてきた原発に、誰かが「40年も働いてくれてありがとう」と祈るヒトがいなければ、との論旨、分るような気がする。
でも、未熟な吾は、原発を憎みこそすれ、祈る気持ちにはなれない。
我が身、家族、知人、友人、何よりも、無限の可能性を持った子供達や、これからこの国に生まれてくる未来の子供たちを無差別に危険に晒している原発というテクノロジー、導入した為政者達、協賛したマスコミ、知識人、御用学者、彼らを怨み、怨み、死しても怨む。
このままでは、死して怨霊となりそうで、ちっちゃな祠を作るように遺言書いてかなくちゃなぁー。
Re: No title
今回の地震や津波もそうだけど、木を払い、田を起し、水を引いて生活基盤を作ってきた過程で、壊滅的な天災に見舞われることも多かったことは想像に難くない。
そうした天災で大切な人を奪われたことも数限りなくあったであろうことも想像に難くない。
だけど、そんな中でも天の拝み、地を拝み、万物に八百万の神を見てきた、というのが私たちの先祖なのかなぁ、と思うんですよね。それは単に畏怖する、という意味だけでなく、災厄をもたらした対象をある意味乗り越える、という方法の一つだとも思う。
これは、「怖い奴」を自分とは切り離し、切り刻んで弱みを見つけ、対抗するというのとは、またちょっと違うやり方。いわば「怖い奴」をも内部化してしまおうという戦略。
ゲンパツはジシンやツナミと違って、かなり怪しげな匂いがプンプンしていることは事実で、こんなクサい奴、拝むなんて、祈るなんて、内部化するなんて、とてもとても、というのは当然。
だけど、宇宙レベルとか地球史レベルで見るとすれば核も、人も、八百万のひとつの姿と見ても不思議じゃない。
一歩間違えば呪術でおわっちゃう、その危険性は確かにある。だけど、クサさを受け入れ(?)ながら心の中に置き場を作る、という意味では拝むこと、祈ることはひょっとして有効だ、と思えた。ゲンパツとその崩壊に伴って生まれてきているさまざまなことを見据え、扱い、働きかけるために。また、ゲンパツを正しく封印するために。
なんてね。やっぱりうまくいえない・・・。また、これができるとは限らないが・・・。
No title
今日の夕刊に、「福島避難者に差別被害」との記事。
内容は、「南相馬市から群馬県へ避難した小学生女児は、{福島から来た}とクラスの子どもから避けられたり、陰口で不登校に」とか、「千葉県の公園で、地元の子どもから{放射能がうつる}といわれた、と地元教育委員に報告があった」など、心痛むものばかり。
言葉の暴力は、被害者は無論、加害者の子ども達の心にも、拭い切れない深い傷を残す。
地震や津波での避難者へは、親身なる同情の言葉、原発事故避難者にはこの仕打ち。
天災は、人知の及ばぬ所、古来より神に祭り、災を受けたら、無理にでも気持ちの内に取り込み、祈り、癒し、生きる事で記憶の片隅に追いやってきた。
でもね、原発事故は、人知の及ぶ所、安全神話に騙されたと分ったら、人はどう思うだろうか。
もし、自分の子供たちが、何の罪も無く、地震や津波の被害が最小限であり、原発さへ無ければ、自宅から避難する必要も無かった彼らが、新聞記事のような目にあったら、やっぱり、恨みと怒りの感情だけだろうなぁと、思ってしまう。
>クサさを受け入れ(?)ながら心の中に置き場を作る
全く同感で、理性では「その通り!」、と同意するのだけれど、今回はどうしても感傷的になってしまう。
年かなぁー。
Re: No title
ぼろぼろに汚染されていたら論外。しかし、自分が育てた野菜がいわゆる暫定規制値以下の少しばかりの放射性物質で汚染されていたといたら?いや、たとえそれが測定限界以下であったとしても、この現状、その野菜をいったい自分はホントに好きになれるのか?という堂々巡りが予想される問いかけ。
3.11以来の自分の通奏低音はざっくりいえばこんなところ・・・です。
食べてもらえるかどうかはともかく、自分で自分の野菜を認められるかどうかは、ゲンパツの存在を私自身がどうとらえるかに関わってくるようにいま、思えている。
原発は存在そのものが許せない、認められない・・・というのが事故前からの私の気分。しかし、その気分がシンプルである限り、そこから自分の野菜を好きになる手立てはどうも見つかりそうにない、という気持ち。つまり、実はこれはどちらかといえば、理性ではなく感情の問題で・・・。恐れるべき誤解は、「あ、じゃ現状追認で、放射能はいいわけね?」といわれることだが、もちろんそうではない。

たかが野菜の話です。しかし、もしうまく「ゲンパツに祈る」ことができるとすれば、私はご指摘の理不尽極まりない原発被災者への対応とも、自分の中でフツーに、力強く、戦うことができるようになるんじゃないか、と思ってるんです。
哲学的なことを論じるほど、私は教養ないです。だから、危ない橋、わたっていますね^^;
しかし、「祈る」ということはひょっとしてですけど、安全な「立場」からは本質的にできないこと、と思えているんですが、どうでしょうか?絶対的な信頼のおける「神」だけが祈る対象ではない、という言い方もできるかもしれません。

丁寧でねばり強いコメント、感謝です。どうかこれにこりずにm(__)m
No title
こちらこそ、粗野で不躾なコメントに、誠意溢れる対応を頂き、rainfrog23さんの真摯な姿勢に、感服。
>気分がシンプルである限り、そこから自分の野菜を好きになる手立てはどうも見つかりそうにない
ご自身の分身とも言える野菜に対してのこのお気持ち、ある意味自己の否定とも言える深い慟哭に、言葉も見つかりません。
>哲学的なことを論じるほど、私は教養ないです。だから、危ない橋、わたっていますね^^;
いえいえ、このブログから投げかけられている問いは、十分に哲学的で、示される情報は、これまた十二分に教養的、と感じているのは、自分だけでは無いと思いますよ。
また、これら一連の問題提起は、身近で、「今ここにある危機」。
これについて、世に定義されている哲学や教養、学識では、答えを見出す事は出来ないと思う。(未だにこれからの精神的アイデンティティも見つからず、事故収束のアイデアも無い)
答えは出ないかもしれないが、一人一人が考え、思いを述べ、悩み、壁に当たり絶望し、投げ出し、自棄になり、もがき苦しみ、光が見えるかもしれない。
いや、そうでありたい。
この心情は、次の「祈る」との意義と共振すると思う。
>「祈る」ということはひょっとしてですけど、安全な「立場」からは本質的にできないこと

毎回、生き方を深く見直させてくれる、記事内容に感謝しています。
農繁期でお忙しいとは思いますが、末永くお願いします。
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プロフィール

rainfrog23

Author:rainfrog23
就農15年目、群馬県高崎市の野菜農家のおやじ。30代までは都心に勤めるサラリーマンだった。生き物がたくさんいる環境での仕事を望み百姓志願。農園の名前、みずき彩菜(さいさい)です。

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