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八百よろずの神の中のお天道さん

作物を含む植物は、直接的には土壌中の小動物や微生物と深い関係を持っていて、これは栄養を直接やりとりしたり、お互いのライフサイクルを回していったりするための必須のパートナー関係だ。しかし、その土壌の生き物たちも地上の他の植物や動物たちと複雑な関係性をもっていて、それら1セットがその場所固有の時間軸のなかで形作られてきている。その関係性こそが、たべるべき食べ物を作る源泉だと私は思っている。

生態学で「中程度攪乱説」というのがあることをご存じだろうか。Connellという学者がサンゴ礁や熱帯雨林で検証した仮説で「中程度に攪乱が加わると、その場の生物多様性はもっとも高くなる」というもの。
つまり、荒らされまくったら、その生物相が単純化するのはもちろんだが、まったく荒らされない、というのでも生物相がやはり単純化の方向に向かう、ということなのだ。なお、この「攪乱」において人為的、非人為的は問わない。

日本の伝統的農村生態系は、この生物多様性を高いレベルで実現する攪乱程度だ、とみる生態学者は多いようだ。実際、ホトケドジョウやメダカなど、農村生態系の普通の生き物でいまや絶滅危惧種になっている種は多い。ヘイケボタルは(それに少なくとも関東地方のゲンジボタルも)農村生態系の中の水田環境に特徴的に適応している生き物だ。彼らはただきれいなだけの水には住めない。また近頃話題だったトキやタンチョウ、彼らも農村生態系の生き物なんじゃないだろうか。

だから、日本の伝統的農村生態系においては、ヒトも他の生き物を支える生き物のひとつとしての役割がある。これは作物を作る人だけでなく、食べる人も含めて、だ。
私がいつもお伝えしたいなぁ、と思っているかなりの部分は、こうした生態系こそが、食べるべき食べ物を育み、人を含む多様な生き物を育む、ということに関係する。

前のエントリで紹介させていただいたリスクヘッジについてで「生物多様性」はシステムクラッシュのリスクを回避するものだという指摘があるが、その意味合いはそれだけではない。

生物多様性は生き物的「豊かさ」の源なんだと私は思う。人間にとっても、生き物としての豊かさを享受するための源。
豊かさにはいろいろあるだろう。昨年のCOP10では薬物の遺伝資源としての多様性がやけに話題になったが、もちろんそれも一つある。食べ物のおいしさと滋味・滋養もその豊かさのひとつの表現だ。文学・音楽・美術・その他もろもろの人間の心と体の活動にだって、少なからず関係しているだろう。進化的なリスクヘッジというのもあるいは豊かさの中に含めることも可能かもしれない。

で、実は生物多様性はその不確定性・検証困難性にその本質がある。あまりに複雑すぎ、対象が多すぎて、その全貌を把握することはほぼ不可能だと思えることこそが、その価値を規定する。どこまでが必要な生物多様性であり、どこまでが無駄な生物多様性なのか、という線引きができる性質のものではない価値なのだと思う。
たぶん、だから、かつて日本人は目の前に拡がる世界に八百よろずの神を視、作物のことを「天と地のめぐみ」だといったのではなかろうか。
全貌をとらえきれない、という意味では、それは、今の人間にとってもおそらく同じであろう。

だから、生物世界の豊かさを見る目を養うことは重要だ。生き物としての豊かさを子々孫々を含めて享受するために。
多くの人が見逃してしまうシステムクラッシュの芽を見抜く目をもつ人が大切であるのと同様、生物世界の豊かさを見抜く目をもつ人は大切である。しかし、多様性の豊かさを見るわけだから、少数精鋭でできる仕事じゃない。

だから、生物多様性のためには人間多様性が必要だ、と思う。
その役割を持つ人は天才である必要性はない。おいしいものを知ること、その食べ物を育んだ天と地を見ること、それだけで十分かもしれないし、あるいはそこから十分に始められるはずだと思う。
TVを見ればその製作者の視点でその素材を見てしまうが、直接的な関係性は多様性の源に他ならないんだ、と私の場合、信じている。
(ちなみにそんな視点を養おう、という有志のフォーラムがある。私も会員の一人だ。Bセンスフォーラム


ところで、かつても圧倒的な核反応があった。だが、それは「天」という手がとどかない場所に本体があり、その力のハシキレが恵みとなって降り注いていた。
ひょっとしたら、だが、今この「天の力のそのうちのかなりのいくばくか」が目の前に制御不能な形で立ち現われようとしているのかもしれない。
その時にこそ、生き物としての人間の立場にまずは立ち戻るのが、やはりはまずはの一歩なのだ、と思わざるを得ない。
だが、これまでとは違う形で、ものごとを考えていく必要に迫られることも、予感される形・・・なんだなぁ。

てなことを書こうと畑仕事をしたあと、昼下がりの1時間半を中沢新一氏、内田樹氏らのネット対談の視聴につかったら、偶然にもけっこうダブっていてびっくり。
更に当然私なんかが想像もできないような説が飛び出して、たいへんびっくり。

中沢氏によれば原発はその形状がフランスでは神殿で、インドではシバ神だという。
つまり原発は一神教の神(つまりさわったらアブナイ)という扱いであるわけだが、日本は八百よろずの神なので、ちょっと違うんじゃないか、というのが内田氏の弁。
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Author:rainfrog23
就農15年目、群馬県高崎市の野菜農家のおやじ。30代までは都心に勤めるサラリーマンだった。生き物がたくさんいる環境での仕事を望み百姓志願。農園の名前、みずき彩菜(さいさい)です。

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