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安全・安心を超えて

今回はいつもに増して長くなります。しかもいつもどおり文字だらけです。ごめんなさい。

・安全・安心とはいえなくなった時代

これから先、空から放射能がどれくらい降ってくるか、わからない。
これから先、野菜がどれくらい放射能を吸うかもわからない。

今回の事故により、「有機や自然農法の野菜でも放射能に汚染されたら農薬野菜と同じだ」と嘆く生産者もいるようだ。
たしかに放射能が降った地域で生産された野菜は「安全・安心」とはもう言えなくなった。

深刻な原発事故と連日の報道を受けて、日常食べるのものについても、人々が心配し、不安になっていることはよくわかる。それは私も同じだ。
特に小さなこどもたち、妊娠中の女性が身内にいる場合はなおさらだろう。
しかし、生産者である私にとっても農産物への放射能汚染の影響はいまだ十分な形で見えてきていない。

私達(つまり私と妻)が化学農薬や化学肥料を用いない農法で野菜をつくっていることは確かだ。しかし、あえて誤解をおそれずいえば、それは安全な農産物を作るためではない。

もし、安全・安心ということばが、有機農産物や自然農法の農産物が、非の打ちどころがなく安全・安心という意味だとか、そこまでいかなくとも、それらが化学農薬や化学肥料を使った農産物に「比べて」安全・安心という意味だとしたら、そういう安全・安心な食べ物というものは実際にはありえず、それを直接的に求めるのは得策ではない、というのが私の持論のひとつめだ。

私達の野菜を食べてくれるお客さんの中には、「いつも安全な野菜をとどけてくれて感謝です」といってくれるお客さんもいる。私達は今まで一度も「安全」とか「安心」とかの言葉を自分の野菜にくっつけたことはない。だけど、そういってくれるお客さんは自分たちに対して「信頼」を表現してくれていると思っているので、素直にその言葉をいただき、私達も深く感謝している。

だが、一方では私達の業界が「安全・安心」の言葉を多用していることに、危うさを感じていたことも事実だ。そういう現状認識にも関わらず、それに対して、自分ができることが限られていて、いつも無力感を感じていた。
なぜ危ういとおもったのか。それはその言葉がちょっとしたことで全部ひっくりかえってしまう可能性があると考えていたからに他ならない。
いま、いよいよ「安全・安心」はひっくりかえった気がする。

「安全・安心」という言葉には実は中身がない。
いまからその理由を説明したい。

1.水を含め、すべてのものは過大な量を体にとりこめば毒になる、というのがひとつ。どんな体にいいといわれているものでも量のコントロールを誤れば、なんでも毒になりうる。
2.植物である作物は、多くの昆虫や動物からの捕食を免れるためにそれぞれの方法を使って自己防衛してきた、という進化の歴史を経ている。その中で殺虫剤に使われているような成分を自ら合成する植物もあり、微量ながら普通の作物でも天然の毒性物質を含んでいることは通常よくあること。
たとえばDDT全盛時代のアメリカで普通の人が農産物経由でとりこんだDDTは、そのアメリカ人がレタスによってとりこんだ天然毒性物質の1/20の発がん性しかなかったという報告もある。
ビョルン・ロンボルグ:環境危機をあおってはいけない,文藝春秋(2003)に掲載された論文だが、中西準子さんという学者のサイトでも紹介されている。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak266-1.GIF

詳しくは
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak266_270.html
を参照ください。

この真偽のほどはホントはわからないと思うが、「DDTに比べて」普通の食品が決して安全とは言えないという可能性はあるだろう。コーヒーやアルコールはもっとリスクがありそうだ。
なぜこういう話になるかというと摂取量を考慮しているからだ。レタスと同じ重さのDDTを摂取したら穏やかな結果ではすまされないだろうが、そんなことは普通はおこらない。

また、平野千里:原点からの農薬論,農文協(1998)には、次のような事例・報告も紹介されている。
A)キャベツ・ケールに含まれるプロゴイトリン
アフリカ中央部で、宣教師がもちこんだキャベツを食べた現地の人々においてプロゴイトリンという含有物質が原因の甲状腺肥大が多発した。海藻由来のヨード摂取量が多い地域ではこうはならないが、内陸部でヨードが十分ではないために起こったとされる。
B)ダイコンに含まれるイソチオシアネート
(健康雑誌ではがんになる前の異常化した細胞の増殖を抑えるファイトケミカルという記述もあるが)慢性の肝障害、腎障害を起こす可能性が高いとされる。
C)セロリ等のセリ科に含まれるフラノクマリン
光増感作用(皮膚にはやけど、目には視力障害)があり、紫外線下でDNAへの変異原性がある。
セロリのフラノクマリン濃度は低いが、菌核病等のストレスを受けるとこの合成系が活性化し、急激な濃度上昇をおこす。
D)(先のDDTの発がん性についても報告した)B.Amesによれば、農作物に付着して摂取される合成農薬などの人工化学物質の総量は一人当たり0.1mg以下/日に対して、天然の有毒化合物は1.5g/日に達すると見積もることができるとしている。

製薬会社が膨大なコストをかけて毒性を評価し、残留しないことが確かめられている農薬は天然毒性物質よりも安全なのかもしれない、といったら言い過ぎだろうか。

3.毒は薬にもなる(^^)
薬は文字通り、ある種の毒性物質。一方、毒がまったくない中で育った子供は、虚弱になるような気がしないだろうか。
作物も時には乾燥ストレスを与えたり、食酢や木酢液で酸性ストレスを与えることにより、多少の気象変動などものともしない、強健で栄養豊かな作物を収穫することができる。ただし、これには土壌や日照といった基本的な生育条件が整っていることが必要。
こんなことをいっても怒らないでほしいが、健康で栄養豊かな食物である限り、多少の毒性物質はむしろ望みたいものといってしまいたくなる
フキノトウはこの季節、旬の野菜。このほろ苦い味は他に代えがたいものだが、これには発がん性があるといわれるアルカロイドが含まれている。しかし、この少量の毒物が冬の期間眠っていた免疫機能を目覚めさせ、春から夏にかけて病原菌や負荷の高い環境に体を備えさせる役割があるともいわれている。ワクチンみたいなものだ。


つまり、作物はそれぞれ固有の毒を含み、どれも食べ過ぎれば問題が起こる可能性が高いものだ、ということだ。それによる健康への影響を避けるためには、毒をさけて食べ物を選択するよりも、なるべく多くの種類の食べ物をたべる、ということで対応することが最も得策だと考える。
そのことを考えた場合、農薬をつかっていないだけで、国産というだけで「安全・安心」といえるのだろうか?

・化学農薬と化学肥料を使わないわけ
化学農薬については、レイチェルカーソンが沈黙の春で告発した時代と今はその成分や利用方法が大きく異なっている。日本で定められた使用方法で利用している限り、作物中の天然毒物と比べればそれによる健康被害を真剣に考える必要はあまりないのではないだろうか。

さて、私達が化学農薬や化学肥料を使わないのは、安全性のためではないと書いた。
それらを使わない理由は、作物が天と地と生き物の恵みでつくられると考えているからだ。
農薬や化学肥料、特に農薬は劇薬のようなもの。急性障害が出てどうしてもリカバリーしなければいけないときは有効だろう。しかし、副作用も大きいのだ。
副作用として無視できないのは、土壌中の生物相を破壊してしまう可能性。作物はその生育において、土壌中の微生物や小動物をはじめとする生物環境に多くを負っている。それを無視した栽培も確かに可能だが、それは人間でいえば栄養点滴だけで子供を育てようとすることと同じだと思っている。
生き物は生き物が育てるのだ。

土壌中の生き物たちの関係性は一朝一夕でできたのではなく、それなりの時間を経て形成されたもの、大切にしなければならない。

栄養点滴だけで育てられた作物と、生き物によって育てられた作物。その違いを体感されている方も多いのではないだろうか?私は就農するためにこの地にきて、野菜の本当のおいしさを知った気がする。慣行栽培でも近所のおばあちゃんの作った野菜がうまいのだ。
その理由はしばらく謎だったが、だんだんわかってきた。当地は農業の条件不利地である中山間地。圃場整備や土地造成とはほぼ無縁の土地だ。
その中では非効率といわれる小規模の田んぼや、法面(斜面)ばっかりの畑が存在する。素掘りの側溝・水路もまだまだある。
そうした中ではスキマがたくさんあり、生き物が暮らす空間もいっぱいあるのだ。また、大規模に化学農薬や化学肥料を散布するほどコストをかけられない経営が多いというのもあるだろう。廃物利用としての堆肥(生き物の餌である有機物)施用の継続も生き物をはぐくみ、彼らの存在が良質な農産物を作る基盤をささえているのではないか、と今は思っている。

・ざっくりいって、だが

ざっくりいってだが、おいしい野菜の「おいしさ」は健康に育っている証拠だ。さらにざっくりいって健康な野菜は栄養価が高く力があり、たべるべき野菜だ。私には自信がないが、化学農薬・化学肥料をもし十分な知識により賢明につかうことができれば、それでも、たべるべき野菜ができると思う。

野菜の選択は安心・安全という売り文句や一点のけがれもない栽培履歴ではなく、「おいしさ」と、生産者やそれを売ってくれる人が「信頼」できるかどうかで選ぶべきだというのがふたつめの私の持論だ。ざっくりいって、だが。

おいしさは、食べた人のからだと気持ちをHappyにする。一緒にたべた相手もHappyにする。食べた家族をHappyにする。おすそ分けした人をHappyにする。

地震が起きてこのかた、メディアで繰り返し流されるのは、政府の要人や学者の人たちの「ただちに健康に影響はない」という言葉だ。
これは「国産だから安心・安全です」「無農薬なので安心・安全です」という私たちの業界売り文句とダブって聞こえてきた。
ただちに健康に影響がない、ということは長く見れば影響が「ありうる」ということであり、その影響がどの程度かにより、対処が必要か、また対処ができるかどうかは
人により変わるわけだ。

そんな個々人の事情を無視して「あなたは安全だ」なんてどうして言えるのか!なのだ。原発事故の当局者は、個人の判断のよすがになるデータとその解釈について助けになる情報を、すみやかに、たとえ面倒で時間がかかっても、開示する必要がある。
それを言わないのは、相手(私を含む普通の人)を信頼せず、子供扱いをしているからではないのか。

食べ物には昔からリスクは付き物であり、それとなんとか付き合いながら人は世代をつないできた。
しかし、今回の事故によって放出され、これからも放出されるかもしれない放射性物質による作物への影響についてはたしかに別物だ。なぜなら、生産者がだれであろうと、場合によっては地域がどこであろうと、等しく同種の悪影響が及んでしまうという点だ。これでは、「いろいろなおいしい食べ物を食べる」という戦略が通用しない。

しかし、放射性物質によるリスクが、もし十分に小さければ、「食べ物の効用」と比べて無視してもいい、というのは「今までとおなじだ」と私は考える。

では、どれくらい十分小さければいいのか?

それは、個々人が自分の判断できめるしかない。当局がそのための情報ー継続的なモニタリングとその数値の解釈に役に立つ付帯情報ーを誠実に、広く公開し、それを私たちが粘りづよく見つめ、やはり誠実に考えていくしかない時代になった、ということだと思う。
国際放射線防護委員会(ICRP)によれば、放射線の影響の中には「確率的影響」というのがあるそうで、それは放射線の量によって、将来がんになる確率が増えたり減ったりする、というものだ。これはある値以下なら影響がない、とはいえない性質のもの。だから、同じ放射線量でも個々人の条件に応じて対応がかわるべきしろものだ。
難しい判断の典型だが、私たちはこれに向き合わざるを得なくなった。

・食べものの効用

さて、「食べ物の効用」と書いた。食べ物は私たちと私たちの家族の、からだと活動のエネルギーとなる。だから、私たちはすぐれた食べ物を選んで食べるべきだ。改めてざっくり言わせてもらえば、おいしく、信頼できるものほど効用が高く、そこに含まれるリスクが「受け入れられる条件内」である限りにおいて、それを選ぶべきであることは今までとなんら変わらないのだ。

しかし食べ物の効用はそれだけではない。食べ物のひとつである作物は、天と地と生き物のめぐみで作られるわけだが、作物だけでなく、生き物はそれぞれすべて、天と地と他の生き物にささえられている。
ウチのキュウリ畑にいるアマガエルはウチの畑を支えている命のひとつだ。実は私もその意味では同列である。

生き物のなかには人間も入っていて人間も他の生き物をささえている。
人間が作物を食べることで、作物がつくられた田・畑・里山・奥山・地域の生き物たちが、ささえられている。おいしいものを食べることにより、田んぼも畑も、里山も、日本も、地球もHappyになるはず・・・だ。


放射線のリスクはまだわからない。わかる為の情報は切実に欲しい。しかし、仮にそのリスクを私達は許容できるとした場合、
生産者として、私達は放射線のリスクを超える生産物を提供することができるだろうか?
食べてくれる人に、私達は放射線のリスクを超えるどんな話をできるだろうか?
それが問題だ。
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作物を含む植物は、直接的には土壌中の小動物や微生物と深い関係を持っていて、これは栄養を直接やりとりしたり、お互いのライフサイクルを回していったりするための必須のパートナー関係だ。しかし、その土壌...
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rainfrog23

Author:rainfrog23
就農15年目、群馬県高崎市の野菜農家のおやじ。30代までは都心に勤めるサラリーマンだった。生き物がたくさんいる環境での仕事を望み百姓志願。農園の名前、みずき彩菜(さいさい)です。

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